セラピスト紹介
Satoko Todera@2017 photo by Satomi Murasawa
セラピストからのメッセージ
はじめまして。公認心理師の十寺智子(とおでらさとこ)です。
私が催眠療法を学ぶことになったきっかけのひとつは東日本大震災でしたが、その少し前から起きるようになった原因不明の体調不良の影響もありました。進むべき道を進んでいない、魂の決めてきたライフワークとは違う方向に進んでいるということを暗示するかのように、ビジネスがそれなりに順調であっても、体が拒否反応を示しているようでした。朝起きても、自分の経営する会社なのに行きたくないと思う。時折、左上腹部に激しい腹痛を起こしていたので、大学病院で念入りに検査をしてもらいましたが原因はわからないままでした。
そこで、以前、受けたことのある催眠療法が頭に浮かびました。その時は、親しい友人を亡くした時に起こった「死への恐怖」が課題でしたが、それについては1回のセッションで克服できました。ですので、今度も催眠療法を受けてブレイクスルーしたいと思ったのですが、私が選んだのはセラピストの養成講座でした。理由はわかりません。直感です。講座で学ぶうちに、GIFTという技法のところでイメージした未来の私は、なんとセラピストでした。そこで覚悟が決まったというのでしょうか。私はセラピストなんだと思いました。
それまでは、クリエイティブワークの会社を経営していました。書籍、雑誌、カタログ、会社案内などを企画して制作する会社です。私はプランナー、コピーライター、デザイナー、ライター、編集者としての経験を積みましたが、それらの仕事は根底でセラピストに通じるものがありました。制作上で私が大切にしていたのが「イタコ」になることでした。誰かの意図を形にするのが仕事ですから、まるでその人のイタコであるかのように心を理解するのが私の特長でした。メインの職業がクリエイティブディレクターからセラピストに変わって驚く方もいるかもしれませんが、私にとっては同じ能力を使うものなので全く違和感はありませんでした。
また、私の人生経験もきっと、みなさまの心を理解する上で役に立つことと信じています。
私が最初に出会った挫折は、自分が男ではないという事実を受け入れなければならないということでした。今ならGID(性別違和)といわれるものですね。体が女で心が男、それで恋愛対象が男である場合は、トランスジェンダーのゲイということになるらしいです。最近、GIDの勉強をしていたら、そこにはまるで私自身のようなことがたくさん書いてありました。中学校の入学式の日、初潮を迎えたときには、生きている意味を見失いました。それ以来、今でも生きることの意味を探し続けています。
生きる意味を見失った私は、社会に対して、激しい憤りを抱えるようになりました。なぜ私がここに生きていなければないのか、その怒りが外に向かい、喧嘩をしたり、家出をしたり、心の置きどころを求めて苦しみました。すさんでいた私は、高校を1年で退学となり、17歳の時に家出によって親元を離れました。そして、独学で大学入学資格検定に合格し、ロックシンガーになるという夢を持ってライブハウスで歌を歌いながら、早稲田大学第二文学部に進学しました。いずれは自分の店を持ちたいと思い、在学中から歌舞伎町でホステスの仕事し、卒業後は雇われママになる予定でしたが、不眠、抑うつ、希死念慮に苦しむようになり断念しました。
離婚も経験しました。体は女でも、私にはどうしても子供を産む決断ができませんでした。子供を産んだ女性たちの勇気を本当に素晴らしいと思う。うまく育てられないと苦しむ方はいるだろうけれど、生まれさえすれば子供には幸せになる可能性が与えらる。そのことで苦しんでいる女性がいたら、心から敬意を持って向き合いたい。私にできないことができた女性たちの力になりたい。経済的な事情がある方は、どうぞそれも含めて問い合わせていただきたいです。きっとできる方法があります。
居場所、自分の本当の家を求めて海外に一人旅もしました。インドネシア・バリ島には旅人として1年半居ました。とても尊敬できる現地の恋人にも巡り会いましたが、うつ、希死念慮、摂食障害を抱えていた私はうまく関係を安定させることができず、また自分の生きる道、仕事、社会との繋がり、使命というのか、それがその場所にはないと判断して日本に帰ってきました。
何のキャリアもなかった私ですが、帰国した30歳の時に、あるきっかけから大手企業にカタログ制作の企画提案に行き、仕事を得ることができました。それまで全く経験はありませんが、精神的につらい中、泣きながら徹夜で仕上げた企画書は無駄にはなりませんでした。バツイチ無職キャリアなしの私が、その日から突然コピーライターに昇格。その後、独学でデザインも編集もライター業務も全て行いました。
クリエイターとしての経験はゼロでしたが、それまで真剣に悩み、ぶつかってきたことが全てそこに結集しただけ、全ての思いを結実させた形だったのだろうと思います。全ての経験は役に立つ。そのことをみなさんにもお伝えしたいです。
破天荒でたくさんの傷を負ってきた私ですが、だからこそ、みなさんに気軽に声をかけてもらえるのではないかと思います。私は特に立派な人間でもありません。たくさんの弱さと悩みを抱えた一人の人間です。
でも弱くていいじゃないですか。心をひらけば必ず手を指しのべて助けてくれる人はいます。あなたの思う「その人」でなくても、きっとあなたを愛する人がいる。少なくとも私は手を伸ばしてくれたクライエントの手は、しっかり握ります。セラピストークライエントの関係はこうあるべきと専門書には書いていますが、それが全てではありません。私は人と人としてクライエントに向き合います。誰一人として同じ人はいませんから、その方の個性に、掛けがえのないその存在に、出会いに、感謝する毎日です。
こんな私でよかったら、ぜひセッションを受けに来てください。お待ちしています。
十寺より愛を込めて。
[プロフィール]
十寺智子(とおでらさとこ)
公認心理士
USPT研究会副理事長/日本催眠学会評議員および日本催眠学会学術誌『催眠と科学』編集幹事/日本医療催眠学会会員
米国催眠士協会(NGH)認定インストラクター/国際催眠連盟(IHF)認定インストラクター/米国催眠協会(ABH)認定インストラクター/日本臨床ヒプノセラピスト協会認定インストラクター/USPT研究会認定トレーナー
1967年生まれ。早稲田大学卒業。グラフィックデザイナー、ライター等を経て、クリエイティブワークの会社を設立。初めて受けた前世療法で、マスターから「愛の心を広めなさい」というメッセージをもらったことがきっかけとなり、心理療法を学ぶ。
日本ホリスティックアカデミー(JHA)村井啓一氏より前世退行療法、年齢退行療法、エリクソン催眠、ソマティック・ヒーリングは創始者のディヴィッド・クィグリー氏より学ぶ。
来談者中心療法に共感し、ひとつの領域、ひとつの療法にとらわれることなくクライアントに寄り添うため、心理カウンセリング、音叉療法なども学び、ホリスティックな心理療法を目指している。
クリエイターとしては、ワイス博士のノベルティグッズや書籍『悲嘆療法』のデザイン編集なども行っている。同書籍には、十寺の執筆した事例(潜在意識下で病死した母・自死した妹との対話したケース)も収録されているので、ぜひとも読まれたい。
現在、USPT研究会のトレーナーとして、内在性解離のためのセッション技法を医師や心理士を対象に指導する。
2018年10月に日本催眠学会学術大会の大会長として、「死をめぐる催眠」をテーマに、死生観の変容が人の命とQOLをいかに支えていくかを語り合う。また、日本催眠学会発行の学術誌『催眠と科学」の編集委員として、研究の成果の普及に努めている。
また、音と映像、語りのコラボレーションによる癒しの研究中。ときにヴォーカリストとしてステージに立つ。愛猫家。
2013年9月、心理療法研究室スアラロハニを開設。
2016年4月、小栗康平先生のご推薦によりUSPT研究会理事に就任。
2016年5月、USPT研究会にて事例報告。
2016年10月、東京大学で開催された日本催眠学会のワークショップにてUSPTのデモンストレーションを担当、同学会にてUSPTを併用した催眠療法の事例について研究発表。
2016年12月、USPT研究会勉強会にて事例報告とデモンストレーション(公開セッション)を行う。
2017年1月、名古屋市立大学で行われたUSPT研究会ワークショップで、事例報告とデモンストレーションを行う。
2017年4月、日本催眠学会の評議員に就任(4月1日より)。
2018年3月、日本応用催眠学会にてUSPTの講義を行う。
2018年10月、日本催眠学会学術大会の大会長を務める。
2018年10月、日本催眠学会学術誌『催眠と科学』の編集委員に就任。
2019年4月、日本催眠学会学術誌『催眠と科学』の編集幹事に就任。
2020年6月、書籍『USPT入門 解離性障害の新しい治療法』星和書店の編著。